日記ブログ嫌われすぎやしないか?
日記ブログはやめた方がいいおじさん「日記ブログはやめた方がいい。」
意識高い系ブロガー「日記ブログは面白いけど、稼げないよね(笑)」
グーグルの犬「日記ブログは検索の邪魔だからくたばれ。」
僕はそうは思わない。
「日記ブログはこの世に必要不可欠。」
声を大にして言いたい。
「日記ブログも人を救っている。」
この記事では、日記ブログが必要だってことを、いつもの日記のようにダラダラ書いていく。
日記ブログ書き始めて1年。
自分のブログがどんな検索ワードでアクセスされているのか、調べていて気がづいたことがある。
問題解決を求めていない検索がある。
問題解決。
ブログや、記事を書き始めたら絶対に学ぶ知識。
・検索してる人は、答えを求めている。
・タイトルで回答をだす。
・記事の最初に読者の求めてる内容を示す。
どうやら上記の通りにいかない検索が、この世には存在するらしい。
例えば、「死にたい」
このワードは、よくわからんけど、検索ボリュームが何百万らしい。(忘れたけど、とにかく多い。)
「死にたい」は疑問でも問題提起でもなんでもない。
気持ちの吐露だ。
僕はうつ病になって、「死にたい」をグーグルに向かって何度も入力した。
入力してるとき、頭には何も浮かんでいない。指が勝手に動く。
そこに解決なんて誰も望んでいない。
わかりやすい例え話のために「死にたい」を持ち出したけど、僕の記事に「死にたい」で引っかかる記事はないと思う。
一番最初にこの事(日記記事が必要だって事)に気がついた検索ワードは「日曜日が終わる」
僕のブログでは以下の記事が引っかかる。
毎週日曜日の夜に10アクセスぐらいある。
僕のブログの日曜日の稼ぎ柱だ。
「日曜日が終わる」にも解決策なんかない。
気持ちの吐露だ。
他にも面白い検索ワードがいっぱいある。
思い出せないのと、探すのがめんどくさいので書かないけど、とにかく。要するに。何が言いたいか。
グーグル検索は愚痴を吐き出すために使うやつが不特定多数いるって事。
例えば「死にたい」で出てくる記事はだいたい日記や、体験談が多い。
「私が死にたいと考えていたときはこうでした。」みたいな。
もしこれが、金を稼ごうとしてるカスが、「死にたいの解決策はこれ!」とか書いてたらうつ病の僕は死んでただろう。
愚痴に対する解決方法は、とにかく聞いてあげる事。
でも、ブログに話を聞く機能なんてない。
どうするか。
2つあると思っている。
1.その人が話したいことを代弁する。
2.ダラダラと無駄話をする。
1について。
愚痴を検索した人が話したいことを代弁してあげることで、その人が話した気分になってもらう。
つまり、日記ブログでその日の気持ちをぶちまけることで、どっかの誰かが話した気分になってスッキリしてもらえるんだって事。
2について。
僕らが愚痴を話し合うとき、どんな感じか想像してほしい。
みんなでダラダラ長時間話し続けないだろうか?
ダラダラ話してるうちに、あれ?なんの話してるんだっけ?まぁいいやってなる。
ブログによって、1と2を疑似体験してもらう。
これは、既存の記事を書く概念とはかけ離れた技術だと思っている。
そして、この技術は一朝一夕でつくようなものじゃない。
本物の体験。本物の愚痴。
それらだけが、解決策となり得る。
だから僕はこれからも、カスみたいな日記ブログを書き続けるよ。
何処かの誰かを助けるために。
以上。
コメント
今日も1日どこかで誰かが頑張ってたんだなっていうのを見るためにブログ毎日読んでます。がんばってる人を見てると自分ももう少し頑張ろって気になって少し励まされます
いつもありがとうございます笑
でも余計なお世話だとは思いますが、無理をせずゆっくり過ごしていってください。