今日も書く。毎日書く。
今日はご飯をいっぱい食べた。
朝ごはんにピザ3切れ。
昼ごはんにオムライス。
晩ごはんは無し。
母親はご飯をいつもものすごい量作る。
今日用意されていた昼ごはんのオムライスは、どんぶり2杯分くらいあった。
引きこもってしまう少し前から引きこもってしまう直前まで、この量にすごくイライラした。
食べれないと言っているのに用意してくることにすごくイライラした。
言っていることが伝わらないからだと思う。
こう言うところからおかしくなっていったんだなぁ。
僕にとって、言っていることが伝わらないのはすごく大きいことなのだと思う。
どんなに些細なことでも正確に伝わらないと苦しい。
僕は伝えるのが下手だから、伝えるためにすごく努力する。すごく頭を使って言葉を絞り出す。
この時点でしんどい。
やっとの思いで言葉に出した結果。うまく伝わらなかったとき「また1から努力をやり直さないといけないのか…」と、なんと言うか、徒労感、に襲われる。
例えると、僕の会話は大砲式なんだ。
打つまでに、鉄球をせっせと運んで、大砲にセットして、導火線に火をつける。そして命中率が悪い。
サブマシンガンになりたい。欲をいえばアサルトライフル。引き金引いたら、自動で打ち続ける感じの銃になりたい。数打ちゃ当たる式。
会話の上手い人はスナイパーライフルなんだろうな。狙って、最低限の口数で伝えることができる。
今までスナイパーライフルを目指していたつもりだったんだけど、大砲になっちゃてた。
めちゃくちゃ恥ずかしいやつだ。ダサいやつだ。
言語化能力がとても低い僕は、口数で攻めるしかないと思う。
質より量だ。
口数増やすのもしんどい。
話すのが面倒臭い。
こんなんじゃダメなんだろうな。
できれば質を上げたいなぁ。
スナイパーになりたい。なってみたい。
一言でズバッ!と伝わるってどんな感じなんだろうか。
気持ちいいだろうな。
夢だなぁ。
話す練習をしなければならない。
ブラック企業に勤めていたとき、出向という形で大企業で働いていたことがある。
大企業ではいい人がいっぱいいた。
その中に、仕事で詰まったとき「君の考えを話してみ?話していると頭が整理されるからいいよ」と言ってくれる人がいた。
話したけど、自分でも何言っているかわからないくらいめちゃくちゃだった。
相手の顔も「?」だった。
それが申し訳なくて、余計話すのが嫌になった。
話したら頭が整理される人の気持ちがわからない。
僕はいつも頭の中で終わらせるか、紙に自分にだけわかるように書いて終わりだ。
書いてて思ったけど、僕はいつも話を聞いてくれる人がいないと言っていたがもしかしたら「そもそも話そうとしていなかったのかもしれない」
いや、話したことあるか、話した結果、聞いてくれる人はいなかった。
聞いてくれない経験ばかりが積み重なって、話すことが嫌になっていたんだ。
あれ?そうか。
これ前にも書いたな。
話すとこんな感じになる。
文字に書いててもぐしゃぐしゃだから、会話だともっとひどい。
書いても話しても頭がうまく整理されない。
僕の話を聞いてくれる人は全員目的があった。みんな手揉みしながら、聞いているフリをしていて、その裏では目的としての見返りがあった。
「話を聞いて上げたから、こちらの話を聞いてくれ」と言った形だ。
僕の『話』はただの愚痴。相手の『話』は頼みごと。
不公平だ。
働いていたとき毎日この構図だったなぁ。そうだったそうだった。
家族もそうだった。
愚痴を聞く見返りが、実家に住むこと。老後のこと。
ふざけんなよ。お前らは俺の顔見れて嬉しいかもしれないが、こちらは何にも嬉しくない。ストレスの溜まることばかりだ。
毎日毎日会話しないといけない。毎日毎日大砲の準備。疲れるんだ。
会話がしんどい。
頭を使わずに会話してみたいなぁ。
今日も内容がめちゃくちゃだな。
こんなんで文章上手くなるのかな。アウトプット能力あがるのかな。
無駄な努力をしている気がする。
努力って、意識しないと意味ない気がする。
何を意識すればいいんだろうか。
書き続けてたら見えてくるのかな。
もういいや、どうでも。
日記は惰性で続けていこう。目的を見失ってからが本番だ。
以上。また明日。
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