身近な人に何かしているところを見られたくない。聞かれたくない。知られたくない。
うつ病じゃないと思われるからだ。
もし、何かしていることを知られると「それができるなら、これもできるでしょ?」とつけ込まれる。
ひどい時には「それができるなら、元気じゃん」と言われる。
こういうことを言われると、どうしようもなくなり、うまく説明できず、落ち込む。
ただでさえ苦しいのに、他人に理解されないのが余計に苦しい。
例えば、インフルエンザにかかっても、ご飯は食おうと思えば食えるし、風呂に入るし、やろうと思えばゲームもする。それと同じでうつ病になっても、やりたいことをやれるときがある。
うつ病の “うつ病らしさ” が欲しい。
うつ病になったら、何もしちゃダメなのか?
気丈に振る舞えるってことはうつ病のうちに入らないのか?
だがら、“うつ病らしく” なければいけないと責任を感じ、責任を持って何もしない。
何を言われても、何をされても、僕は責任を持って何もしない。
何かしようと思うと罪悪感を感じる。
- うつ病なのに、ゲームしていいのか?
- うつ病なのに、ご飯食べていいのか?
- うつ病なのに、風呂に入っていいのか?
違う書き方をするとこうだ。
- ゲームをしてると元気だと思われる
- ご飯食べると元気だと思われる
- 風呂に入ると元気だと思われる
元気だと思われたくない。
普通だと思われたくない。
「元気じゃない」「普通じゃない」ということを口で言っても誰にも信じてもらえない。
気丈に振る舞っていると余計に信じてもらえない。
僕の経験だけでいうと、泣き叫んでも信じてもらえなかったし、パニックで泡を吹いても信じてもらえなかった。
どうすればよかったんだろう。
どうすればいいんだろう。
“うつ病らしさ” が欲しい。
…ダメだ。答えが見つからないことを考えると辛い。
どうしようもないんだと思う。
泣いて物事を伝えるのは赤ちゃんと同じだ。
赤ちゃんは話ができない。
泣くことで相手より極めて弱い立場になり、物事を伝えようとする。
弱い立場になれば話を聞いてもらえる。
これは、人間が一番最初に本能的に覚えることだと思う。
僕は赤ん坊に戻った。
何言ってんのか自分でもわからない。
どうやっても物事が伝わらなかったので、僕は泣いて話すようになった。
でも、やっぱり誰にも、僕の話は、伝わらなかった。
僕「もうやめてください…」
- 会社「なんでお前そんなに苦しそうなのw」
- 母親「あんたのためを思ってやってあげてんねん」
- 父親「お父さんはお前の味方やから」
「やめて」と言ったらやめればいいだけなのに、なぜこの人たちは、やめないのだろうか。
本当にわからない。
「やめて」って難しい言葉か?理解しにくいか?
「やめて」というと、僕の周りの人間の返答はこうだ。
- 「俺は〜」
- 「私は〜」
- 「お父さんは〜」
- 「お母さんは〜」
どれもこれも「やめて」に対する返事じゃない。
泣いて土下座して「やめて」って言ってるんだからやめろ!
頼むから…。
“うつ病らしさ” が欲しい。
それがあれば「やめて」が伝わると思うから。
書いてたらしんどくなってきた。
何を書きたいのかわからなくってくるとしんどいな。
うつ病の辛さは、うつ病になった原因もそうだが、第2波として、周りからの理解が得られないことがあると思う。
第2波で命を落とす人が多いと思う。
第2波からが闘病生活の本番だと思う。
そんな感じです。
今日はこれくらいにしよう…
以上、また明日。
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