言語化したいことがある。
僕がよく言う「理解されない」の意味についてだ。
「理解されない」は結果であって原因ではない。
僕が言いたいのは「理解されない」と言う結果のことではなく、なぜ「理解されない」かについてだ。
うつ病の人は「理解されない」と苦しんでいる人が多い気がする。
なぜ苦しむのか。以下の両者での認識のズレがあるからだと思う。
- 「理解されない」と言う結果だけを聞いた人
- 「理解されない」原因を言いたいうつ病の人
そのズレのせいで、うつ病の人はまた「理解されない」と言う結果だけを話して、苦しみの連鎖が起きる。
他の人はどうなのかはわからないが、ここでは僕の場合の「理解されない」について書きたい。
僕のよく使う「理解されない」の別の言い方は「伝わらない」だ。
「うまく伝えられない」とも言える。
僕は親の前で何度も泣いて、錯乱して、叫んだことがある。
これらのことは、こちらの“要望”や“愚痴”を話した時に起きる。
“要望”や“愚痴”とは例えば以下のようなもの。
- 要望「〜だから、〜して欲しい」
- 愚痴「吐き出したい。ただ聞いて欲しい」
要望はかなり単純なものだ。例えば「その話は昔のことを思い出すから、やめて欲しい」と言ったもの。
そして、これらの言葉に対しての返事によって、泣いたり、錯乱したり、叫んだりする。
- 「でも!」
- 「お前のためを思ってやってあげてるんや!」
- 「こっちはこう思ってんねん!」
どの言葉もこちらの“要望”を通す気がない返事だ。
しかもたちが悪いのが「YES」とも「NO」とも言わないところ。
つまり「こちらの反論はこうです。そちらの反論どうぞ」と厳しい会話のボールを投げられるのだ。
僕からすれば「その話は昔のことを思い出すから」以上の理由は浮かばない。
反論を用意することができない。つまり「うまく伝えられない」のでパニックになる。
僕は「親がどう思っている」とか「自分のためを思っている」とか、そう言うことを話しているのではない。
望んでいるのは2通りなのだ。
- 要望「〜だから、〜して欲しい」→「わかった、気をつけるよ」
- 愚痴「吐き出したい。ただ聞いて欲しい」→「それは辛かったね」
あえてもう一つ挙げるとすればこうだ。
- 「こちらはこう思うから、こうしたい。それでどう?」
両者が納得する道だ。
ただそれだけなのに、「お前のためを思ってんねん!」などと、切り捨てられてしまうと、反論の術が無くなってしまう。
これ以上の、“要望”・“愚痴”を用意できなくなった時。
頭が破裂して、泣き叫ぶこととなる。
簡単に例えると、赤ん坊を想像して欲しい。
赤ん坊は物事を伝える術を持たない。泣くか笑うか。それだけだ。
やめて欲しかったら泣くし、やって欲しかったら笑う。
僕の場合もそうで、伝わらない、これ以上相手に伝える方法がないときに、泣く。
この「伝わらない」ことを、僕は「理解してもらえない」と呼んでいる。
…難しいな。うまく言語化できた気がしない。
一人でいる時に、苦しんでいる理由も、これらの出来事を思い返すからだ。
どうやったらこちらの望みをうまく伝えられるだろうかと悩み続ける。
こんな感じかな。
何が言いたいかまとめると、僕は「理解されない」から苦しいのではなくて、僕が「うまく伝えることができない」ので相手が曲解してしまい、その曲解した内容が自分を苦しめているんだ。と言うこと。
こう言う風に伝えず、ただ「理解されない」と相談するから、「理解はこちらがしないと相手は理解しないよ」などと言うちんぷんかんぷんな回答が返ってくることになる。
うまく表現できただろうか。
この件はもっと掘り下げなければいけないと思っている。
もっとうまく表現できる。
苦しみを言語化しないと。
以上。また明日。
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