今日は昨日に比べると落ち着いている。
睡眠時間は昨夜23時くらいから今朝7時とよく眠れた。途中4時くらいに目が覚めたが、うまく2度寝することができたのでよかった。
昨日、母親に「歯ブラシ置き場を洗面所に変えて欲しい」とメールでやりとりした。
今日は洗面所に歯ブラシ置き場ができていた。
しかも、置き場には新品の歯ブラシと新品の歯磨き粉が用意されていた。感動した。
僕は「歯ブラシ置き場を洗面所に変えて欲しい」とだけ伝えたのに。
“ピンクカビの上に乗っかっているから気持ち悪い”なんて一言も伝えていない。
それなのに新品の歯ブラシが用意されていた。
歯磨き粉も新品だったのはよく分からない。が、何かしら気を使ってのことだと思う。
このことから思ったこと。「余計な一言は使わなくていい」ということ。
僕は話す時、メールする時、なんでも色々と情報を詰め込んでしまう。
1セリフといったらいいだろうか。一気に伝えたいことを全て話そうとしてしまう。
結論(要望)、原因(なぜ?)、未来(そうしないとどうなる?)…。といった風に、相手の返答を待たず全部一気に話したくなる。
今回の歯ブラシの件を例に説明する。
まずは結論を頭に設定する→「歯ブラシ置き場を洗面所に変えて欲しい」
次に原因→「ピンクカビの上に歯ブラシが乗ってしまって気持ち悪いから」
次に未来→「誰かにわざとされているんじゃないかと考えてしまい、そうすると気分が落ち込むから」
これはブラック企業のせいだ。ブラック企業の彼らは10あることを、0から100まで話さないと暴れ出す。お前が話しているんだから100まで話せ!…と。
先述の例だと、社会人の基本的なことで、当たり前だと思われるかもしれない。ブラック企業は違った。本当に手取り足取り100まで話さないといけないのだ。それこそ歯磨き粉の成分にまでこだわるくらいに。
僕は身を守るために、話す時はとにかく情報を詰め込む癖ができてしまった。
でもそんなことしなくていいんだと思った。
10あることは、1伝えるだけでいいと思う。
僕はいつも10あることを100にして伝えようとしていた。
100にするのはすごい労力を使う。そして100伝えた結果、うまく伝わらなかった場合だ。このショックはものすごくでかい。
そうやって僕は精神を削っていた。
10あることは1伝えるだけでいい。そっちの方が楽だ。
伝わらなければ、2を伝えればいい。
それでも伝わらなければ、3を伝えればいい。
期待はデカければデカいほど裏切られたときに痛くなる。
100伝えると、その分の期待はでかい。
1だと、期待なんかしない。
100で2しか伝わらないとすごく辛いが、1で2も伝わるとすごくうれしい。
理解しにくい部分は人それぞれある。全ての人に伝わる100なんて作れっこない。
僕は今まで、全て自分のせいにしていた。物事が伝わらないのは自分の責任だと思っていた。伝わるように努力しないといけないと思っていた。
今回、聞き手にも責任を持たせられるんじゃないかと思った。
10までは伝える側の責任。聞く側はサポートする。
11からは聞く側が理解できるように努力する。伝える側はそれをサポートする。あくまでサポートであって、責任持って努力する必要はない。
コミュニケーションで気負う必要はないと悟った1日でした。
以上。また明日。
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