うつ病患者が語る『家族にされて嫌だったこと』まとめ

体験談
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年末だ。

何かやり残したことはないかと考えると一つ出てくるのが、今回書く記事。

『家族にされた嫌なことまとめ』だ。

半年前に書こうとしたら、過去の記憶が一気に押し寄せて来て、錯乱した。

それからできるだけ思い出さないように生きて来た。

 

今なら書ける。

書いて、頭の中をスッキリさせよう。

まずはじめに

僕が精神を壊したのは、様々な複雑な状況がある。

その状況を完結に書く。2段階ある。

まず1段階目。ブラック企業での3年間にわたるパワハラと過重労働だ。

そこで体を壊した後の2段階目。実家に帰ってからの家族からの攻撃。それによって病状が悪化。自殺未遂をするまでに追い込まれた。

 

しかし、家族や周りの人間は2段階目のことは知らない。わかってない。気づいてない。

 

うつ病にとどめを刺すのは家族だ。

 

うつ病になって家族と過ごそうとしてる人。うつ病の人が家族にいる人。

そんな人たちにこれを読んで、うつ病の人はどんなときに苦しむのかを知ってほしい。

不幸の競争を始める

うちの家族がバカだなと思うのは、不幸話になると張り合おうとするところだ。

今思い出してもイライラする。

 

僕は、ブラック企業で月に400時間働いて、体を壊した。

うつ病ニートの元システムエンジニアが稼働時間400を超えた時の体験を語る。
1ヶ月の稼働時間が400時間を超えた時の話をします。 当時の僕は技術派遣という形でブラック企業から大企業へ出向して...

 

実家に帰って来てからの僕は、今まで溜まっていた鬱憤を愚痴りたかった。

3年間ひどい待遇の中、誰にも話さず溜め込んで来た。苦しかった。それを軽減したかった。

 

しかし、愚痴った結果。家族からの返答はこうだった。

  • 「400時間?お前が400ならこっちは500時間働いてるわ!」
  • 「若い頃、強姦にあった」
  • 「それに比べたらどうってことない」

 

僕は何も言うことができなくなった。

これを毎日続けられた結果。

僕は壊れた。

「うわぁぁぁやめて!!!」と言いながら泣き叫んだ。

 

たとえ他人が不幸を味わっていたとしても、本人の不幸が消えることはない。

そんなこと言い始めたら、戦争中の国の人が一番辛い。終わり。って話になる。

そんなバカなんことはない。

何も解決しない。

 

愚痴は黙って聞け。

期待される

毎日毎日期待を込めた言葉を投げかけられた。

  • 「お前は天才や」
  • 「やればできる」
  • 「期待してる」
  • 「頑張れ」

 

僕はおかしくなっていく自分自身がわかっていた。

できない。

体が言うことを聞かない。

それなのに、毎日「できる」「できる」「できる」

 

どんどん追い詰められていった。

頼られる

僕はパソコン関係の仕事で体を壊した。

にも関わらず、家族は、機械系全般の頼み事を毎日して来た。

  • 迷惑メールが来る。
  • パソコンが動かない。
  • あれ印刷して欲しい。
  • 年賀状。

 

また、僕の前でわざとらしく、詐欺に引っかかろうとする。

『久しぶりに帰って来た息子に頼る親』と言う構図を作り出そうとするのだ。

僕はそんな精神状態じゃなかった。

いつ自分が自分じゃなくなるのか、理性を失ってしまう恐怖があった。

頼られる状態じゃなかった。

 

しかし、見て見ぬ振りはできず、助ける…。

喜ぶ親。

「これから頼むで」

 

精神が削れていく音が聞こえた。

誕生日を盛大に祝いだす

誕生日。僕は死にたかった。

2回首を吊ったのを覚えている。

 

明らかにおかしくなっている僕に、家族の態度は変わらなかった。

「ケーキは!」

「食べるやろ!」

「誕生日おめでとう!へへ」

うつ病患者が誕生日に死にかけた話
うつ病になって半年が経ちました。今年ももう半分が過ぎ、このまま自分はどうなるんだろうか?と不安な毎日を送っています。 ...

 

地獄だった。

首を吊って失敗して、パニックで、号泣して、そんな中、誕生日で年がまた一つ増える。

祝われて嬉しいわけがない。

 

毎日目に見えておかしくなっているのに、気づかない家族を軽蔑する。

あいつらが嫌いだ。

一生信じない。

これからの人生設計を決めだす

東京で働いて、精神を壊した僕。

「とりあえず実家に帰って来なさい。実家で新しい道が見つかるかもしれないし」

親にそう言われて、僕は実家に帰った。

 

「新しい道が見つかる」

 

違った。

僕のやりたいこと全てに、両親は猛反対した。

  • 「地元で働け」
  • 「一生この家で暮らせ」
  • 「弟と二人で暮らせ」
  • 「老後はこうしろ」
  • 「墓はこうしろ」

 

僕の話は全く聞いてくれなかった。

 

「両親の考える新しい道」だった。

否定され否定され、僕の頭はおかしくなった。

部屋に勝手に入ってくるお風呂にも

実家に帰って来てから僕は毎日気丈に振る舞った。

落ち込んだ姿は見せられない。

毎日疲れていた。

 

寝るためだけに用意された物置部屋で寝るときが唯一、落ち込める瞬間だった。

しかし、家族は何時だろうと、部屋に勝手に入って来た。

  • 「物置からあれを取りにきた」
  • 「物置にこれを片付けにきた」
  • 「何やってんねん」

物置の使用頻度が非常に高かった。

寝ようとしてるのに、電気をつけられるのが本当に辛かった…。

 

そして、最後の「何してんねん」

 

家族は僕をペットかなんかと勘違いしてるんだと思った。

僕に自由はなかった。

 

挙げ句の果てに、風呂にも勝手に入って来て、頼み事をして来た。

 

一人になりたい。

死ぬしかないんだと思った。

やめてと言っても聞いてくれない

  • 「やめて欲しい」
  • 「今は考える余裕がないから後にして欲しい」
  • 「辛いからやめて」

いろんな方法で伝えたが、家族は全く聞いてくれなかった。

 

  • 「大丈夫や」
  • 「気にするな」
  • 「味方やから」

会話になってなかった。

 

味方なのに、僕の言うことを一切聞いてくれなかった。

 

泣いても、叫んでも、暴れても、「大丈夫、前向きに行こう」

「若い頃な、辛いことがあったけどな、前向きに言ったらうまく行ってん」

 

もうだめだった。

家族が化け物に見えた。

 

だってそうだろ?こっちが何言っても、どんなに泣いても、叫んでも、表情一つ変えず「前向きに行こう、頑張れ」

 

おかしいよ。どんな脳みそしてんだ、あいつら。

でかい声

家族の声が怖くなった。

足音が怖くなった。

いつ部屋に入って来るんだろう。

また応援される。

また誕生日を祝われる。

 

襲われる。怖い。

 

家族の声はでかい。

 

どんなに引きこもっても、布団を被っても、リビングから家族のでかい声が盛大に聞こえて来た。

 

死にたい死にたい死にたい死にたい。

 

死ねなかった。

 

首を吊っても、足がついてしまう。

 

「やめて」

手紙を書いても、メールを送っても、「大丈夫や」

 

なにが大丈夫なんだよ。

 

くたばれ、ボケ。

さいごに

書けた…!

本当に苦しかった。

 

誰も味方がいなかった。

 

死ななかったのが不思議なくらいだ。

 

僕は身長185センチある

どこで首を吊っても足がついてしまうので、苦しいとすぐ逃げてしまった。

身長が短ければ死んでたと思う。

 

死ねばよかったと思う。

 

そうでもしないと家族には僕の辛さがわからないから。

 

泣いても叫んでも暴れても錯乱しても、泡を吹いて失神しても、家族は何も変わらなかった。

助けてくれなかった。

 

これじゃあ、死ぬしかないだろ。

 

死んでも、家族は「急に死んだ」って判断するんだろう。

 

本当にゴミ家族だ。

 

こいつらと一緒にいたくない。

 

こいつらと一緒にいるといつか本当に殺される。

 

世の中からこんな家族が少なくなることを祈る。

一人でも多く、うつ病の人が家族に助けられることを祈る。

 

以上。

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